ここぞという時に手を差し伸べてくれる情が厚いスリランカ人

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東日本大震災の直後自らが被災地に入りした、スリランカのカランナゴダ駐日大使。2011年3月24日に17代目の駐日大使として8000万円の義援金を携えて予定通り着任し、一週間後の4月1日には気仙沼でセイロン紅茶をふるまい、4月3日には福島に入りスリランカカレーを被災者に配ったのはまだ記憶に新しいところ。当時は東京から関西へ大使館機能を一時移したり、国に帰ったりする外国人も多い中、日本に着任間もない大使自らがカレーを振るまっている姿には心を打たれました。

スリランカでも2004年のスマトラ沖大地震・インド洋津波災害にあい、80万人が亡くなりました。スリランカ滞在中も日本人だとわかると「ツナミは大丈夫なのか」と数十人に聞かれました。興味本位でなく心から心配してくれているのが顔つきでわかります。

同じ津波の恐ろしさを知るスリランカ人の情の厚さは大使だけにとどまりません。名古屋在住の友人のスリランカ人も地震発生後早い時期に現地のスリランカ人ネットワークで義援金と食糧の調達をし、名古屋から車で被災地に入りカレーの炊き出しをしたそうです。他にも被災地で炊き出しをしたスリランカ人はネットで調べると結構いるようです。ニュースにならなくても地道な活動をしてくれているスリランカ人には頭がさがります。

時は遡って第二次世界大戦後、1951年のサンフランシスコ対日講和会議。各国代表が集まる中、セイロン代表のジャヤワルダナ閣下(後の初代スリランカ大統領)は他国に先駆けて日本への賠償請求権を放棄をしました。スリランカでも生ゴムの大量採取や日本軍の駐留による被害があったようですし、連合国軍からは分割統治の強硬案も出る中、ジャヤワルダナ氏は損害賠償を要求せずに代わりにブッダの言葉を引用しました。

「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」
(Hatred ceases not by hatred, but by love.)

今回の東日本大震災にしろサンフランシスコ対日講和会議にしろ、日本が打ちひしがれているときに手を差し伸べてくれるスリランカ。当時は英国の自治領セイロンで、大国が集う中損害賠償を放棄するのは勇気のいる行為だったと思います。ジャヤワルダナ氏は演説で「我々は日本人に機会を与えなければいけません。」とも説き、その通り機会を与えられた日本は分割統治されることもなく国際復帰し、経済発展を遂げてきました。その後日本はインフラ整備や学校建設などで積極的にスリランカを援助してきましたが※、経済面だけではなく両国の心の結びつきは意外と深いところにあるのかもしれません。

2011年8月29日にスリランカのカランナゴダ駐日大使をインタビューさせていただけることになりました。元海軍司令官で、スマトラ沖地震の津波被害では救援活動もかかわったというカナンナゴダ大使。様々な角度から濃い内容のインタビューを取ってきたいと思います!

※1999 年から2001年では、スリランカの海外援助受取額の約 57%は日本からのものであったが2007年より中国、イランが抜いたようです。
http://www.jica.go.jp/jica-ri/publication/archives/jbic/report/paper/pdf/rp24_j03.pdf

 


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2011年8月27日



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2件のコメント »

  1. ジャヤワルダナ氏の言葉、心打たれますね。。

    Comment by Miji — 2011年8月27日 @ 9:02 PM

  2. [...] 経験を持つカランナゴダ氏は、2011年3月24日にスリランカ大使として日本に着任し、一週間後には被災地へ出向き自らセイロンティーとスリランカカレーをふるまう。 ■スリランカ大使館 [...]

    ピンバック by スリランカ大使が「スリランカ・フェスティバル」の見どころを動画で紹介! | スリランカでアーユルヴェーダ — 2011年9月1日 @ 5:31 PM

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