謎の美女がほほ笑む天空宮殿「シーギリヤ・ロック」
ジャングルの中に突如現れるのは200メートルの切り立った岩の上につくられた、天空宮殿シーギリヤ・ロック。このラピュタのような空中宮殿をつくったのは、狂気の王と呼ばれるカシャパ王(477 – 495年)。1500年以上も前に作られたカーシャパ王の豪華な宮殿。いったい何のために。どうしてこんなところに!
石窟寺院のダンブッラからバスに揺られること45分。シーギリヤ・ロックはスリランカ内陸の文化三角地帯の中に位置します。時は遡り5世紀のスリランカ。シンハラ王朝80代目の偉大なダートゥセーナ王は側室の子供であるカーシャパを冷遇し、正妻の子である異母弟モッガラーナを跡継ぎにすることに。
王の決定に怒り狂ったカーシャパはクーデターを起こし、父を監禁して王位につきます。カーシャパの異母弟は身の危険を感じてインドに亡命。なんとかダートゥセーナ前王に財産のありかを聞き出そうとするカーシャパに「この水こそ私の財産」と言って示したのが豊かな貯水池であったとか。それに怒り狂ったカーシャパは自らの父親を殺めてしまいます。
念願の王になったカーシャパ王は幸せだったのでしょうか。その後は弟モッガラーナからの復讐を恐れ、父を殺した罪悪感にさいなまれます。そして難攻不落のシーギリヤ・ロックの上に空中宮殿を築きます。
シーギリヤ・ロックを上っていると中腹に、するどい爪をもつ動物の巨大な足が現れます。シーギリヤとはライオンの喉の意味で、当時は足だけではなくライオンの頭も上部にあり、宮殿に行くには喉の奥に入っていくユニークな構造になっていました。現在は頭部はありませんが、喉に飲み込まれるように足の脇から入っていくと、人を寄せ付けず、弟の復讐を恐れていたカーシャパ王の意図がなんとなく伝わってきます。
断崖にへばりつくように張り巡らされている螺旋階段は、1938年にイギリス人がつくったものです。(カーシャパ王の時代は王専用のリフトがあったようです)
強風の吹きすさぶ中、高所の恐怖を感じながら階段をしばし上り下りしていると、5世紀に描かれたものとは思えないほど鮮明なシーギリア・レディと対面できます。
謎めいた微笑をうかべた18人の半裸の女性たち。
1人1人に個性があり、生き生きと描かれています。細くくびれたウエスト、豊かな胸、素肌につけた豪華な宝石。そしてその妖艶な微笑はさぞかしカーシャパ王を魅了したことでしょう。
スリランカ人に見えないアフリカ系の美女もいます。一度入ると去りがたいほどの魅力です。当時は500人以上もの美女が描かれていて、服を着ていない方が身分が高いのだとか。
高所恐怖症の人には外階段はきついと思いますが、シーギリア・レディのほほえみで疲れが感動に一気に変わります。
頂上の宮殿は風化して残っていません。約5000坪の頂上にはかつてはカーシャパ王の身の回りを世話する使用人など28人が一緒に暮らしていたとか。この360度の絶景パノラマを毎日見て、風の音を聞きながらカーシャパ王は思っていたのでしょうか。
極楽浄土のような天空宮殿での生活も長いものではありませんでした。
恐れていた弟が復讐にきたのはシーギリヤに遷都してわずか11年。捕虜になることを嫌ったカーシャパは自らの喉を掻き切ります。
その後首都はアヌラーダプラに戻され、シーギリヤ・ロックは14世紀まで僧院として使われた後、密林の中でしばし眠りにつきます。1875年の或る日、イギリス人が双眼鏡で岩山を見ていると、シーギリヤ・レディのフレスコ画を発見し、美女たちがようやく長い眠りから覚めます。
父のダートゥセナ王を殺めてしまったカーシャパ王ですが、灌漑の血筋はしっかりと受け継いだようです。宮殿の中は5世紀に短期間でつくられたとは思えない、給水設備が完備され、岩の頂上にもかかわらず現在でもプールには水が満々と溜まっています。
当時は宮殿下のガーデンの噴水からは高低差を利用して水が吹き出し、花が咲き乱れ、美女が集うさぞかし美しい楽園だったのでしょう。
水が自分の財産すべてと言った父親に激怒したカーシャパですが、豊かな水にあふれるシーギリヤ宮殿を見ていると、その水の大切さは十分理解していたように感じます。 現在でも農民が半数以上を占めるスリランカ。ダートゥセナ王が作った貯水池カラー・ウェワは現在でも利用されていて、周辺田畑を潤しています。シーギリヤは1500年以上前の、非凡な才能を持った孤高の王の夢に触れることができるスリランカのお勧めスポットです。
※シーギリヤはスリランカ大使も「スリランカ大使が選ぶスリランカ観光地BEST5」に入っています。
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2011年9月26日
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